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2011.03.22 (Tue)

川上未映子 乳と卵

乳と卵乳と卵
(2008/02/22)
川上 未映子

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姉とその娘が大阪からやってきた。三十九歳の姉は豊胸手術を目論んでいる。姪は言葉を発しない。そして三人の不可思議な夏の三日間が過ぎてゆく。第138回芥川賞受賞作。 (BOOKデータベースより)

読めました。そしてまた、楽しめました。自分の読解力が上昇したというより、「世界クッキー」を読んで何となく著者に親近感がわいたから読めたんだと思います。文法のイロハを脳みそから取っ払って読むのがいいでしょう。長文が読みづらいと感じるのは最初くらいで、あとはサクサクサク~と流れるようなリズムで楽しめるはず。地の文が大阪弁になっているのも面白いです。小説を読んでいる間、どっかに体ごと持っていかれる感じでした。最後まで読んだときには「ああ、もうちょっと読んでいたかったなあ」とまで思ってしまいました。

恐ろしい事件が起きるわけではなく、あくまでも「日常」の世界が書かれています。小説に直接関係あるのだろうかと疑問が生じるセンテンスもたくさんあります。緑子へ渡した花火代5000円、追加で5000円渡したから一体なんなんですか?読んでいて頭の中にハテナが芽生える瞬間がちらほら。もしかすると何かの伏線になっていたりするのかもしれなかったのですが、私には全く分かりませんでした。すみません。
でも想定するに「日常」を書くにはこういった無駄があってもいいのかなと思います。だって日常に起こりうること全てに意味があるわけではないですから。
例えば小説の中に、「殺人事件が起こった現場で刑事がブーンと鼻をかんだ」という描写があったとします。普通の小説では不必要な描写です。けれど実際には起こっているかもしれない光景なのです。それが日常を書くということなんだと思います。何にも繋がらないけれど、起こっていることを書くのです。関係ないことを書き、わざと小説を停滞させ、「日常」を強調しているんだと思われます。

小説の中に「世界クッキー」にも書かれていたロボコンの話が出てきました。デパートに大きいロボコンの遊戯があって、ロボコンの中から家族を見たら、こちらからは家族が見えるのに、家族の側からは黒い窓にしか見えないというエピソードです。序盤で出てくるあたり、お気に入りのエピソードなのかしらん。。もしかしたら、「乳と卵」には他にも川上さんの実体験が隠されているのかもしれません。巻子と行った銭湯のシーンは、おそらくそうでしょう。さすがに卵を頭にぶち当てたりしたことは無いでしょうけど。いや分からないか。

女という生き物をここまでリアルに表現できるのがすごいです。
タイトルにもある乳や卵子はそのまま「女性」を表現しています。そして主要な登場人物三人は皆女性です。小説のテーマに「女」が絡んでいることは間違いないでしょう。
女性に備わる、生命を誕生させる「卵子」という物体の神秘。私も若かりし頃、初潮を迎える時期に色々考えたことがありました。わかるわかる。。そして成人女性なら誰もが共感できる、いわゆるレディースデーの鬱陶しさ。洗濯物を増やしてしまうことだってあるでしょう(変な感想文になってきた…)そこのあたり、読んでいると面白くて面白くてしょうがない。たまらんです。
読み手が女性なら「わかる~」と共感できる小説でしょう。けれど逆に男性はどう感じるだろうか。
あまり男性にはおすすめしたくないし、おすすめできないかなあ。
銭湯で他の女性の乳や乳首を品評し「あれはピンク過ぎる」とか「アメリカンチェリーの色」とか感想を述べてる女性の姿は…エヘッ。
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08:39  |  川上未映子  |  コメント(0)

2011.03.20 (Sun)

川上未映子 世界クッキー

世界クッキー世界クッキー
(2009/11/13)
川上 未映子

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体、言葉、季節、旅、本、日常など、あれこれ。「乳と卵」「ヘヴン」の川上未映子が放つ、魅惑のエッセイ集。 (BOOKデータベースより)

川上未映子の入門書として適した本かも、という感想です。
芥川賞受賞作家のエッセイ。非常に敷居の高いイメージがありましたが、面白かった。良い意味で芥川賞オーラを感じない書き方でした。新聞に投稿されたエッセイが多く、何となくどのエッセイも「公用語に翻訳されている」ようなイメージでした。
まあ、偉そうなことを言う私ですが、過去に「乳と卵」をちびっと読んだことしかありません。しかも当時は、独特の文章に混乱してしまったため途中棄権という結果だったぜチキショウ。今回「世界クッキー」を読んだことで、いい意味での足がかりができて、「乳と卵」に再挑戦しようかなという気持ちになれました。

何気ない日常を生きているこの瞬間に対し抽象的な疑問・不安を見出し、言葉というかたちあるものに変換して、的確に読者へ伝えることができる人なんだと思いました。いや、見出すというと能動的になってしまいますから、感じてしまうという表現のほうが適しているかもしれません。
けれどおそらく、人間はみな心の中でいろいろ考えながら日々を過ごしているんじゃないかと思います。おそらく、無意識に。深い深い水面下にあって感じ取れないだけです。川上さんはそれを拾い上げて文章に変換し、小説やエッセイにしている。
何気ない日常の感覚を文章に変換するというところが肝です。例えば、臨月の妊婦や受験を控えた高校生といった人間の心理は想像するのも簡単であり、たやすく文章化できてしまいます。川上さん自身も、「世界クッキー」の中でこう述べています。
(引用)人間の想像力と言うものについてぼんやりと思いを馳せると、~、もっとこう、普段に流れる日常にみっちりとはりついてあるものだなあ、ということに突き当たる。
川上さんの視点って、ものすごく斬新です。
あるのは普通の物体なのに、視点が違うんです。
銭湯に行って、若い体や老いた体を見て、それらも全て繋がっている自分の体だと認識したり。
喫茶店でお茶を飲みながら、ここにいる客全員が頭蓋骨を所有しているんだと気づいて動けなくなってみたり。
とにかくおもしろいんです。

川上未映子の文章は独特のリズムで読みづらいと思っていたけれど、それだって、主語があって述語があって…なんて定型化された文法と比較してのことです。それを無意識に求めている時点で「型にはまった読書」しかできていなかったんだなあと反省しました。定型化された文法では伝えきれない感情ってのもあるんだなと感じました。

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08:50  |  川上未映子  |  コメント(0)

2011.02.12 (Sat)

海堂尊 マドンナ・ヴェルデ

マドンナ・ヴェルデマドンナ・ヴェルデ
(2010/03)
海堂 尊

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「ママは余計なこと考えないで、無事に赤ちゃんを産んでくれればいいの」平凡な主婦みどりは、一人娘で産科医の曾根崎理恵から驚くべき話を告げられる。子宮を失う理恵のため、代理母として子どもを宿してほしいというのだ。五十歳代後半、三十三年ぶりの妊娠。お腹にいるのは、実の孫。奇妙な状況を受け入れたみどりの胸に、やがて疑念が芽生えはじめる。「今の社会のルールでは代理母が本当の母親で、それはこのあたし」。(BOOKデータベースより)

「ジーン・ワルツ」外伝という感じ。
決して「マドンナ・ヴェルデ」を読んでから「ジーン~」を読んではいけません。「マドンナ~」には、マリアクリニックに通院している妊婦5人の事情もあっさりとしか書かれていないし、先にこちらを読んでしまうと、「ジーン~」のオチに驚けなくなるからです。
代理母への理解を深めるという意味で、二冊を読んでみるのはよいことだと思います。
この問題、今が旬なものでもありますし。

「マドンナ~」を読むことによって、クール・ウィッチと揶揄される曽根崎理恵が、代理母問題について本当に考えていたことが明らかになります。
この理恵も、ストーリーの中盤までは本当に嫌な女(個人的感想)として書かれています。合理的で冷酷な性格がよく分かるエピソードばかり。母ひとり子ひとりの家庭で育ち、若干母親が甘やかし気味に育てたという背景もありますが、それにしてもひどい。まあ、母親のみどりのほうにも、30過ぎた娘をチャン付けで呼ぶのはやめようぜ!と突っ込みを入れたくなりましたけれど。
と、若干冷めた気持ちで読んでいましたが、ラスト近くで明かされる、「理恵が挑戦したかったこと(あえてここでは書かない)」を知ると、とたんにグッとくるものがありました。
これはおそらく、性格悪いと思っていたクラスメートが、横断歩道を歩いているおじいさんの手を取っている姿を見て、思わずキュンとくるのと似た現象だと思われます。

また、先ほどあえて代理母問題について「旬」という書き方をさせてもらいましたが、代理母問題は非常に論議が難しいことだと言えます。代理母を、倫理に反するものとして論じる現代の社会。(もちろん、倫理面以外での医学的な観点等々からも問題が山積しているのですけど)なかなか論議が進まないのも理解できます。
代理母問題と、倫理。
そのことは、小説内にて、別の内容に置き換えて述べられています。
それは「不倫」について述べている、こんな一文です。
(引用)文学で不倫を堂々と扱ったから社会に認知され、その結果、倫理と社会の一部が壊れた。
(さらに引用)倫理が壊れた社会では、不倫なる言葉は死語です。論理的に定義すれば、不倫とは「倫理でないこと」になりますが、肝心のその倫理が不明瞭になってしまった現代の社会においては、不倫なる概念も消滅しつつあるものだ、と…(省略)
代理母問題も、いつか不倫のように「社会に認知されるもの」になるのでしょうか。そんな可能性を論じた記述ではないかと感じます。

そして最後に。タイトル、マドンナ・ヴェルデの「ヴェルデ」の意味は、「緑」です。
そうか、「みどり」か。なるほどね。いいタイトルです。

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09:36  |  海堂尊  |  コメント(2)

2010.11.26 (Fri)

角田光代 愛がなんだ

読んだなあ、角田光代・・・

愛がなんだ (ダ・ヴィンチ・ブックス)愛がなんだ (ダ・ヴィンチ・ブックス)
(2003/03/14)
角田 光代

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「私はただ、ずっと彼のそばにはりついていたいのだ」―OLのテルコはマモちゃんに出会って恋に落ちた。彼から電話があれば仕事中でも携帯で長話、食事に誘われればさっさと退社。すべてがマモちゃん最優先で、会社もクビになる寸前。だが、彼はテルコのことが好きじゃないのだ。テルコの片思いは更にエスカレートしていき...。直木賞作家が濃密な筆致で綴る、全力疾走片思い小説。(BOOKSより)

片思いは、人間を成長させます。
そして日々の生活にハリが出ます。
片思いのときには、その相手からちょっと何かをされただけで、死ぬほど嬉しかったりします。
届きそうで届かない片思いが、一番楽しいと思います。
(成就する可能性が全く無い場合は、ちと苦しくなるもんだけど)

にしても、この小説の主人公テルコは、痛すぎる。
愛する男ができれば一直線。そこまで想える相手がいるというのは素敵だが、恋愛100%になってしまい他のことが考えられなくなってしまう。
語り口が主人公の一人称なので、「都合のいい女」の心理がよく分かります。

そしてまた、相手の男も、ひどいダメンズなのである。
他に好きな女性がいるのだが、その子へのプレゼントを主人公に買わせにいくってどうなんだ?
小説の面白いと思うポイントは、このダメンズについて、細かい風貌については序盤ほとんど語られていないところです。
指がきれいという表現があるので、むしろ結構いい男なんじゃないのか~と期待が膨らむが、小説を読んでいくうち、全然イケてない落第点ボーイということが判明します。
恋は盲目とは言いますが…ひどすぎじゃないかよ…アイタタタ。

恋愛って、何度もすればするほど、「大人の考え方」に近づいていくものだと思っています。
「大人の考え方」とは、恋愛だけが人生じゃないというものであり、恋愛にかける情熱のパーセンテージが、どんどん低くなっていくものです(と、ジャイは勝手に思っています)

「ごめん、仕事が入ってデートに行けなくなった」といわれた場合、
「仕方ないね。じゃあ来週に延期すればいいね」と言うか、
「楽しみにしてたのにひどい、仕事とあたしどっちが大事なの」と言うか。

更にこのとき、デートのために取っておいたエネルギーを何に使うかもポイントです。
一人の時間を有意義に過ごして、本でも読んで、自分自身のレベルアップに使うか。(すでに関心は他のところへ)
仕事だと言った彼氏の言葉が信じられず、会社の近くまで行って待ち伏せするか。(いまだ関心は彼氏にある)
極端な例えですが、そういうことです。

でも結局、主人公はそんなふうに「大人の考え方」はできなくて、きっとこれからも大人にはなれないんだろうと思います。終盤、「みっともなくたって物欲しげにうろつくよ」と、開き直っています。

まあ、大人が良くて子供が悪いというわけではないのです。
それでいいじゃないか。
もしかすると、そんな自分と相性のいいメンズが見つかるかもしれないし。
変わるのだけが正解じゃない、という意味を込めた小説なのではないでしょうか。

まあ、ジャイ自身としては「変わっていけなければ恋愛している意味は無い」と思うし、テルコにはトンネルを抜け出してほしいと願っているのですが、それだって一種の思い込みなのであって、正解ではないんですよね。

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15:30  |  角田光代  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2010.11.26 (Fri)

角田光代 庭の桜、隣の犬

ブログに載せようと思って用意していたのに、ずっと「下書き」のままになっていた記事を見つけました。


庭の桜、隣の犬庭の桜、隣の犬
(2004/09/29)
角田 光代

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夫婦って、家族ってなんだろう?愛でも嫉妬でもない、なにかもっと厄介なものをど真ん中に抱えて、私たちはどこへ向かうのだろう?3LDK三十五年ローン、郊外のマンションに暮らす三十代夫婦の生活を揺らす、さざ波のような出来事を通して、現代の家族のあてどない姿をリアルに描いた傑作長篇小説。(BOOKSより)

読み終わった後に、上に書いてあるレビューの通り、「夫婦ってナンナンダ・・・」と思ってしまった。
小説の中には数組夫婦が出てくるが、見事にバラバラな性質を持っている。
そりゃそうだろう、同じ夫婦なんているわけないんだけど。
特に主人公二人の夫婦像が、一般常識で考えられないくらいおかしい。
夫は、別に浮気をしているわけではないんだけど、マンションを出て、四畳半の借家を借りて一人暮らしを始める。
妻はそれを承諾し、のちに夫の借家を探しに(なぜか住所を聞いていなく、合鍵だけ持っている)
あてのない旅を続け、鍵穴がぴったり合う部屋を求めてさまよう。
二人が結婚した動機だって消極的なもの。
「ゼロのものにゼロを足してもゼロ、結局私たちが何をやってもゼロ」という妻のセリフが、重い。
一緒にいるのに何も得られない夫婦ってなんなんだろう。

物語の途中で妻が夫の浮気相手とバトルするシーンが出てくるが、そこで妻が「別れるつもりは無い」と、
普通の夫婦が言いそうな言葉を使う。
それがものすごく違和感あったし、小説の中の妻も自分で「なんか変だ」と思っている。
普通の夫婦がやることを当てはめた結果、やっぱりおかしいことになってしまうんだなあ。

夫も妻も、自己が確立されていないんだと思う。
なんとなく結婚して、なんとなくマンションを買って。
誰か他の人間がいるときだけ、理想的な夫婦を見繕ってる。

自分なら、そんな結婚生活ゼッタイ無理です。
何かを得られないなら、二人でいるより一人でいた方が楽です。

でも、そんなのだって、一方的な思い込みだったのかもしれない、なんて思う。
小説に出てきたような、つながりの薄い夫婦だって、本人たちがよければそれで成り立つのではないか。

読んでいてあまり気持ちよくなかったけど、新しい視点で夫婦というものを見ることができる、
不思議な小説でした。

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13:28  |  角田光代  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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